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  2. 白い鹿の伝説
みなべの沖に浮かぶ小さな島、鹿島。そこに住むという白い鹿のおはなし。
鹿島神社

紀州南高梅のふるさと、みなべ沖の鹿島に対峙する鹿島神社は茨城の鹿島神宮の分社です。

鹿島神宮で鹿は御使いであるとされ、藤原氏によって春日大社が創られた時には、白い鹿が分霊を背中に乗せて鹿島から1年かけて奈良までやってきたとされています。

そこから、白い鹿は幸せの象徴とされています。

紀州梅の里を襲う大津波そのとき・・・ 鹿島

今から約300年前(1707年 宝永4年)、 12月16日の富士山噴火の49日前のことでした。東海地震と南海地震があわさった日本史上で最も大きい地震がおこりました。推定マグニチュード8.4、日本史上最大と呼ばれる地震です。地震による大津波が太平洋沿岸の町や村を襲いました。

南高梅の里みなべは津波の被害が大きかった紀伊半島の海辺にある小さな町。みなべの浜に高さ5メートルから10メートルに及ぶ大波が迫ってきました。

その時です。500mの沖合に浮かぶ小さな島、鹿島の上に不思議な火が現れ、津波を島の左右に分け、みなべの町を救ったのです。

花火

翌年、宝永5年山之内重賢が鹿島神社に宝永地震津波之記を奉納しますが、その中に感謝の思いをこめて次の句がしたためられています。

沖津浪 われてしづけし 鹿島なる 神の御池の 深きめぐみに

毎年夏に行われる鹿島神社奉納の祭りも宝永5年、地震の翌年にはじまりました。安永のころには鹿島に現れた火を記念して花火を奉納するようになりました。

嘉永7年(安政元年 1854年)の大地震の時にも同じことがおこり、 2度も津波から助けられたことを思いながら鹿島神社に奉納する花火祭りはみなべの人たちによって続けられています。

※このお話はフィクションです。




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